(後編)うちの子の個性は「生まれつき」と「経験」でできている
前回の「犬の脳は『人とわかり合う』ために変わってきた」に引き続いて、ハーバード大学の犬の脳研究のお話です。
前編では、人と暮らすよう改良されてきた犬種では、声やことばを受け取る脳の配線が変化していた、というところまでご紹介しました。
でもこの研究には、続きがあります。今回は、「その子自身の経験でも、脳は変わる」というお話。ここからが、いよいよ「うちの子」の話です。

介助犬の脳を比べてみたら
研究チームは、108頭のわんこをもう一つの分け方でも比べました。
- 介助犬として専門的な訓練を受けた子
- 血統としては似ているけれど、その訓練は受けていない子
生まれ持った素質がだいたい同じ者どうしを比べたので、差が出たとしたら、それは「訓練を受けたかどうか」による差ということになります。
結果、違いが見つかったのは——
- 人からの合図を読み取る経路
- それに対して行動で返す経路
この2つのつながりの強さでした。
「経験で変わる」ということ
前編でご紹介した犬種による違いは、何千年、何万年という単位のお話でした。犬が家畜化されたのは、およそ2万〜4万年前と言われています。
一方で今回の訓練の違いは、その子が生きている、この数年のあいだに起きた変化です。
つまり研究チームの結論は、
進化(選択)が、おおまかな土台をつくる。そして、その子自身の学習が、細かい仕上げをする。
というもの。
言いかえると、わんこの脳は、大人になってからも、経験によってかたちを変えていけるということです。
これは介助犬のような特別な訓練にかぎった話ではありません。おうちの子が毎日聞いている「おすわり」も、「ごはんだよ」も、玄関の鍵の音も、ぜんぶその子の脳の配線をつくっている、ということになります。
生まれつき × 経験 = うちの子
ここまでを整理すると、こうなります。
- 生まれ持ったもの(犬種の歴史、その子の血統、生まれつきの気質)
- その子が経験してきたもの(子犬時代の環境、家族との毎日、通ってきた場所、うれしかったこと・怖かったこと)
このかけ算が、いまの「うちの子」です。
だから、
- 同じ犬種でも、まったく違う性格の子がいます
- 同じきょうだいで生まれても、得意なことが違います
- そして、よその子と比べても、あまり意味がありません
診察室でも、「ネットで見たら、この犬種はこうって書いてあったのに、うちの子は全然違って…」というご相談をよくいただきます。それはごく自然なことです。犬種の情報は傾向であって、おうちの子の説明書ではないからです。
得意な“チャンネル”は、子によって違います
脳の配線の得意・不得意は、日常のふるまいにも出てきます。
だいたい、こんなふうに分かれることが多いです。
- 耳の子:声によく反応する。名前を呼ぶとすぐ振り向く。トーンの変化に敏感
- 目の子:手の動きやジェスチャーをよく見ている。飼い主さんの視線の先を追う
- 鼻の子:まず、においから確認する。散歩中の情報収集に時間がかかる
- からだの子:さわられたり、動きでうながされるとわかりやすい
もちろん、きれいに4つに分かれるわけではなく、混ざっているのがふつうです。「うちの子はどれが強いかな?」くらいの気持ちで見てみてください。
おうちの子の得意チャンネルの見つけ方
おうちで簡単に試せます。
- おうちの子から少し離れて、こちらを見ていない状態にします
- 声だけで名前を呼んでみる → 反応は?
- 別の日に、声を出さず、手だけで「おいで」の合図をしてみる → 反応は?
- どちらが速く・確実に反応するか、くらべてみる
「声だけだと反応が薄いのに、手を動かすとすぐ来る」——そんな子は、目の子かもしれません。逆に、耳が聞こえにくくなってきたシニアの子が、最近呼んでも来ない…という場合もあります。急に反応が変わったときは、性格ではなくからだの変化のこともありますので、そのときはご相談くださいね。

今日からできる、5つのこと
研究の話を、おうちの毎日に落とし込むと、こんな感じになります。
① ことばは短く、家族でそろえる
「おすわり」「すわって」「シット」が家族でバラバラだと、わんこは別々のことばとして覚えようとします。ひとつの行動に、ひとつのことば。これだけで、伝わり方がぐっと変わります。
② ことばとジェスチャーをセットにする
目の子にも、耳の子にも届きます。将来、耳が遠くなったときにも、手の合図が残ってくれます。
③ その子にとっての「うれしい」を探す
おやつが一番の子、なでられるのが一番の子、おもちゃで遊べるのが一番の子。その子がうれしいものでなければ、ごほうびになりません。 ここを間違えると、「うちの子は覚えが悪い」に見えてしまいます。
④ 得意を、行き先のあるかたちで発散させる
追いたい子には追っていいものを。掘りたい子には掘っていい場所を。やめさせるより、置きかえるほうがうまくいきます。
⑤ シニアになっても、あきらめない
脳は経験で変わります。年をとってからでも、新しいことは覚えられます。ゆっくりでいいので、うまくできたことをちゃんと褒める。それだけで十分です。

研究を読むときの、大事な注意点
最後に、獣医師として付け加えさせてください。
- 今回の研究でわかったのは、脳の「つながり方」の傾向です。性格や能力を診断するものではありません
- 古い血統に近い犬は13頭と少数で、ここから言えることは限られます
- 脳の配線が違う=優れている/劣っている、ではありません
- そして何より、この研究でおうちの子の行動を説明しきることはできません
科学は「犬という動物の傾向」を教えてくれますが、おうちの子のことを一番知っているのは、毎日いっしょにいる飼い主さんです。
研究の話は、「なるほど、いろんな脳の子がいるんだな」と受け取っていただいて、その先は、目の前のわんこをよく見てあげてください。
おうちの子が、何に耳をすませて、何を目で追って、どんなときにいちばん幸せそうな顔をするか。それは、論文には書いていないことです。
気になることや、「うちの子、こういうところがあるんですけど」ということがあれば、診察のときにぜひ聞かせてくださいね。性格や行動のクセを知っておくことは、いざというときの診療にも役立ちます。